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いいお産が、世の中をハッピーにしてくれる。

池川クリニック 院長 池川明先生
区分:開業医
地域:神奈川
科目:産婦人科

掲載開始:通算アクセス数:12,924

胎内記憶の研究の第一人者として知られる池川明先生。産婦人科の「池川クリニック」を経営する傍ら、講演活動にも力を入れて胎内記憶の啓蒙に取り組んでいらっしゃいます。「お産は素晴らしい」と口にされる池川先生に、産婦人科医の仕事のやりがいなどについてお話を伺いました。「生と死が隣り合わせにあるからこそ感情のコントロールが大切」との言葉は、すべての医療関係者に通じるものです。

なり手が減るからこそ、
産婦人科医の希少価値が高まると信じて。

丹後先生のお父様も産婦人科の開業医だったそうですね。

池川明先生(以下、池川)実は私には親が4人いたんですよ。実の父は体が弱かったものですから私が生まれてすぐに転地療養することになり、私は父の兄、つまり叔父の養子になったんです。
その後、小学校2年に父が横浜に開業するまで叔父夫婦に育てられました。だから私にとって親は4人。4人ともそれぞれキャラクターが違っていて、実の父はアバウトですが義理の父は非常に厳格な性格でした。私はきっと実の父に似たんでしょうねえ。

(写真)池川明先生
(写真)池川明先生

丹後そうした環境で育ったことで、何か特別な影響はありましたか。

池川親が4人いたということは、私との親子関係も4通りあったということになります。産婦人科の医師として患者さんの親子関係に踏み込むとき、いくつもの親子関係を経験していたことはプラスになっていると感じます。

丹後幼い頃は、どんなお子さんだったのでしょう。

池川とても想像できないと言われるのですが、実は引っ込み思案で臆病な子だったんですよ。中高一貫校から都立高校に転校して、新しいクラスで自己紹介しなければならなくなったとき、「いいです」と先生に断ったほどですから。

丹後担任の先生はさぞ困ったことでしょうね。

池川ええ。大学を卒業する頃にはずいぶん変わりましたがね。


 

丹後産婦人科になろうと決めたのは、やはりお父様の影響でしょうか。

池川いや、父はひと言もそんなことは口にしませんでした。そもそも医学部に進んだこと自体、親には何も言われませんでしたから。どうも私には天の邪鬼なところがありましたから、仮に親に「医学部に行け」と言われていたら、きっと反発して別の道に行ったでしょう。たぶん父はそんな私の性格がわかっていたから、あえて口出ししなかったんじゃないかな。あとになって母に聞いたら、私が医者になったことを父はずいぶん喜んでいたそうですが、私が直接そんなことを父から言われたことは一度もなかったです。

丹後すると産婦人科を選ばれたのも、天の邪鬼が影響して?

池川大学6年の時、産婦人科の助教授に「内科に進みたい」と相談したんですよ。今もそうですが、当時も産婦人科は斜陽の上に、仕事がきついと思っていましたから。そうしたらその先生は「いいんじゃないか。内科は医療の王道だし」と。ところが、研究室を去ろうとしたとき、「世の中の半分は女性だよな。女性を赤ちゃんからお年寄りまでずっと見られるのは産婦人科医だけだぞ。それに今後ますますなり手が減っていくだろうから、かえって希少価値が出るんじゃないか」って言われたんです。それで、なるほどと思って産婦人科医になることを決めたんです。今思えば、その先生は私に産婦人科医になって欲しかったんですよ、きっと。でも、私の天の邪鬼な性格を知っていたから、そんな対応をされたんでしょうね。最初から産婦人科を進められていたら、きっと私は従わなかったでしょう。人の出会いとは面白いものです。


医師として冷静な判断を
するためのセルフコントロール。

丹後帝京大学の医学部に進学されましたが、学生時代はいかがでしたか。

池川いやあ、楽しかったですよ。新設間もない医学部で私は3期生。先輩が少なかったから、夜中だろうがいつでも勉強に没頭できました。夜、急患があると“よーし!”とワクワクしたものです。あの時期はとてもいい勉強になりましたね。
だから医療の道に進むなら、若いうちにできるだけ救急を経験した方がいいと思います。もっとも我々の頃とは医師のライフスタイルもずいぶん変わってしまい、あまり長時間働くと怒られる時代になってしまったようで、ちょっと寂しいです。

丹後開業されたのはいつですか?

池川1989年です。より正確に言うなら1989年の1月5日。あの、たった一週間だけ存在した昭和64年に開業しました。私はまだ34歳で、普通なら大学に残る年齢でしたが、開業医の娘だった家内が早めに開業したいと希望していたので、開業に踏み切ったんです。今振り返れば、夜も昼もなく働く産婦人科医は体力が必要ですから、若いうちに開業してよかったと思います。

診察室に飾られている池川クリニックの外観の絵
診察室に飾られている池川クリニックの外観の絵

丹後以来28年、ずいぶんとたくさんの出産を診てこられたのでは。

池川そうですね。28年で約2,800人ですから、毎年100人ほど診てきたことになります。講演で地方に行くと「先生の病院で産んだんですよ」と挨拶に来てくださる方がいて、本当に嬉しいです。先日は海外でも同じことを言われました。

丹後産婦人科医の仕事はハードと言われますが、生と死が隣り合わせという難しさはあるでしょうね。

池川死産で泣きはらしているお母さんもいれば、隣で無事に産まれて喜んでいるお母さんもいるわけです。そこを行き来するのですから、自分の感情のコントロールは確かに難しいです。もちろん死産は医師である私も落ち込みますが、それ以上に開業助産師達は心の底から嘆き悲しみますね。その姿を見ていると、医師と助産師ではやはり受け止め方が違うように感じます。


丹後医師は常に冷静でなければならないと。

池川学生時代には、あまり仕事に対して感情移入するなと教えられ、死産でも泣くなと指導されました。どこか一歩引いていないと、医師として冷静なコントロールができなくなるのは事実だと思います。入れ込みすぎると判断も鈍ってしまいかねませんから。その意味では、産婦人科医というのは職人的な気質を持っていると思います。ただ、新しい生命が誕生した喜びは一緒に分かち合いたいですし、共感することがダメというわけではありません。このあたりのバランス感覚は難しいところですね。

丹後先生が今研究に打ち込んでいらっしゃるのが「胎内記憶」ですが、いつ頃からその存在に気づきましたか。

池川開業して10年ほどたった頃に、ある本を読んだことがきっかけで胎内記憶に興味を持つようになりました。当初は私も半信半疑だったのですが、クリニックの助産師に話してみたら既に胎内記憶の存在を知っていたことに驚いたものでした。

池川先生の診察ではキューピーちゃんが活躍することも
池川先生の診察ではキューピーちゃんが活躍することも

丹後先生ご自身はどういう思いで、胎内記憶を広く知って欲しいと活動されているのでしょうか。

池川いいお産をして欲しい、こじれたお産をして欲しくない、ということに尽きますね。子どもは胎内にいるときにちゃんと周囲の声を聞いているから、お母さんやお父さんはしっかりと話しかけてあげて欲しいんです。それを繰り返しているとお母さんもお父さんも、次第に気持ちがハッピーになってくる。そして、産まれてきた子も泣かずに笑っている。いいお産ができるんです。

丹後赤ちゃんが笑うんですか。

池川ええ。どう見ても笑っているとしか見えないんです、赤ちゃんが。そして、こちらにちゃんと目を合わせてくれる。とてもいい感情を持って生まれてきてくれたことがわかります。マタニティブルーズに悩むお母さんは約4割にも達するというデータがありますが、こうしたいいお産で生まれてきた赤ちゃんがいると、その壁も乗り越えられるでしょう。そんなふうに人をハッピーにするお産をするために、多くの人に胎内記憶について知っていただきたいと思っています。

丹後講演活動にも力を入れていらっしゃいますね。

池川病気などの事情があって助産師が辞めてしまったので、残念ながら私のクリニックではお産は現在やめています。その分、体が自由になりましたから、積極的に飛び歩いて胎内記憶の啓発に努めています。今はクリニックの仕事と講演の仕事が半々ですね。

幸せなお産が増えると、
社会はどんどん平和になっていく。

丹後池川先生の今後の目標を教えてください。

池川お産で辛い思いをしている人はたくさんいらっしゃいますから、そうした方々の助けになりたいと思っています。そのためにも胎内記憶について、多くの方に知っていただきたいですね。また、諸外国では胎内記憶についてどうとらえているのか、大変興味があります。これから機会をつくって調べてみたいと思っています。私は、幸せな出産を経て産まれてきた子が増えると、世の中は必ず平和なものになっていくと考えているんです。世界平和だって、幸せなお産があってこそ可能になると信じています。

丹後これから産婦人科医として生きていこうという若いドクターに、ぜひメッセージをお願いします。

池川お産ってむちゃくちゃ楽しいよ、ということをお伝えしたいですね。確かに産婦人科医の仕事はハードだし、少子化という現実もあります。しかし、この世に生まれ出てくる生命を扱うという、とても素晴らしい仕事が産婦人科医にはできるんです。ぜひ若いドクターには、いいお産をさせてあげられる産婦人科医になって欲しいし、出産前後も患者さんに寄り添ってあげて欲しいですね。お産って実は楽しいものなんだよということを、知ってもらえたらと思います。

このインタビューのまとめ

  • 人の進まない道だからこそ自分の価値を高められる
  • 若いときほどハードに働けば大きな成長が得られる
  • 感情移入せず、自分をコントロールすることを身につける
  • 幸せなお産は人々をハッピーにする
  • 産婦人科医の仕事はとてつもなく面白い

池川 明 プロフィール
1954年、東京都生まれ。帝京大学医学部卒・同大大学院修了。医学博士。上尾中央総合病院産婦人科部長を経て、89年、神奈川県横浜市に池川クリニックを開設。2001年全国保険団体連合医療研究集会で「胎内記憶」について発表、マスコミで広く紹介され、話題となる。「出生前・周産期心理学協会(APPPAH、The Association for Pre‐&Perinatal Psychology and Health)」の日本におけるアドバイザー。現在は産婦人科医の傍ら、胎内記憶に基づく子育て観や人生観を全国で講演し、好評を博す。著書やCDも多数、好評発売中。

池川明先生の主な活動のご案内

Web

※本原稿にある所属先、役職等の記載は2017年6月1日現在のものです

※ご案内した活動の詳細はそれぞれ公式サイトにてご確認ください

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