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マイ・ウェイを行こう。それは一本だけじゃない。

循環器専門医・心血管インターベンション認定医・内科認定医・事業構想修士 薬師寺忠幸先生
区分:フリーランス
地域:東京
科目:循環器内科

掲載開始:通算アクセス数:1,401

医師としての顔を持ちながら、そのほかにも様々な分野で活躍する薬師寺忠幸氏。そのフィールドは広く、そしてユニークです。自分の興味の赴くままに行動しつつ、いつしか大勢の人も巻き込んでいく力こそ、薬師寺氏の最大の持ち味。医師という枠に収まりきれないスケールの大きさが魅力です。
「人生の道はいくつもある。多様な選択肢に気づいて欲しい」とメッセージを送る薬師寺氏に、お話を伺いました。

ニューヨーク留学で身につけた、
人は人、自分は自分という価値観。

丹後薬師寺先生はドクターという枠に収まりきれない多彩な活動をされていますが、転機はいつ頃ですか。

薬師寺忠幸氏(以下、薬師寺)僕は遠くを見ないタイプというか、目先の面白そうなことを見つけるとすぐに飛びついてしまうんです。転機としては2010年から2012年にかけてにニューヨークに留学したことです。留学後、医局や病院という既存の枠で生きる事は選択肢の一つに過ぎず、その枠に関係なく新しいことを始めたいと思うようになりました。日本で医師をやっていると本当にいろんな事に忙殺されるんです。当然医師以外の事柄に目が向かないわけです。そんな状態からの留学は、一旦自分の立ち位置を客観視して、今後どう生きるべきかを考える良いきっかけになりました。医師としてマジョリティな生き方をするより、もっと面白く楽しいことをやってみたい、一回だけの人生、やりたいことをやろう、と思うように変化しました。当時、立場としては研究者としての留学でしたが、2年間は地元民のつもりで本当にいろんな人と交流していましたね。

(写真)薬師寺忠幸氏
(写真)薬師寺忠幸氏

丹後人生がだいぶ変わったでしょうね。

薬師寺病院で医師として生きていたときの価値観は吹っ飛びました。留学中に強く感じたのは、人は人、自分は自分、という考え方です。日本の医療界にありがちな“君はこうあらねばならない”という考えはなくて、あちらでは「他人に対してジャッジしない(Don’t be judgemental)」というスタンスが当たり前でした。そして、自分の好きなことにどんどんチャレンジしていくニューヨーカー達と多様な人種・言語・価値観を受け入れる都市が僕は好きでした。当時は日本に一時帰国するたび、駅を歩く人々の髪がみんな同じ色であること、スーツの色の大半が黒であることに、違和感を抱いたものでした。

丹後留学期間中、日本では東日本大震災がありました。

薬師寺現地テレビで津波の映像を見ながら、“日本はどうなるんだろう、滅びてしまうんじゃないか”って呆然としたことが、強烈に印象に残っています。周囲のアメリカ人に「気を落とすな」と肩をたたかれたものでした。海の向こうからは残念ながら募金くらいしかできることはありませんでした。しかしこの出来事が僕の愛国心にさらに火をつけたのは間違いありません。実際、留学中に知り合った医師の多くは帰国後に“愛国Dr”になってましたね。

(写真)2010年から2012年にかけてにニューヨークに留学
(写真)2010年から2012年にかけてにニューヨークに留学

 

医師は医師だけやっていればよい?

丹後ニューヨークの留学をきっかけに「大分県人会インターナショナル」を立ち上げましたね。

薬師寺大分県出身である僕は、自衛隊の関係から北海道から沖縄まで暮らしたことがあって、その度に大分県人会を立ち上げていました。留学後しばらくして大分県人会があるかどうか調べたところ、10年前まではあったようだとのことで、九州人の集まりを除いては大分の集まりはありませんでした。で、欲しかったので作っちゃいました。初回は12人の会でしたが、Facebookの流行りはじめと言うこともあり世界中から会員が加入し、今は1300人の大分ファンが集まっています。人と人を結びつけて、困っている人を助けたり、世界各地で人が集まってワイワイできるって楽しいもんだな、と思いました。これをきっかけにオモロイことを仕掛けるオモロイ人になりたいと思うようになりました。

このほかにも留学中の循環器内科医の情報交換&互助コミュニティ“世界に翔ばたけ日本のPCIドクターズ”というのも作りました。その時のメンバーは今はみんな帰国して、日本全国に散らばるドクター仲間として良い関係を続けています。コミュニティの他にも、一度も会ったことのない長野県のプログラマーと英単語・熟語を暗記するアプリ「Everword」も作りました。自分が欲しいから作る、というのはとても健全な心の動きですよね? 本当はアプリで利益が上がったらその利益でNYまで遊びに来るという約束でしたが、結局僕の帰国後に東京で会うことになっちゃいましたね。

丹後帰国されてからは、そんなオモロイ企みに拍車がかかりました。例えば「女医コン」。

薬師寺日本の女医さんは出会いが少ないんですよ。仕事は忙しいし、家に帰ったら勉強もしないといけない。あまりの忙しさに自分のプライベートの人生を忘れちゃうのでしょうか。とあるデータでは女医さんの生涯未婚率は36%にも達します。男性の医師の生涯未婚率がわずか3%なのに対して、女医さんの場合は約3分の1が生涯結婚できないという計算になります。これはなんとかしないといけないと思って始めたのが「女医コン」です。年間20回くらい、出会いの場を作っていまして、男性参加者からも女性参加者からも大変喜ばれます。それにカップルもぼちぼち誕生しています。僕は会の最初の挨拶でいつも言います「女医と結婚しないなんて勿体ない。次の人生でも結婚する時は女医を選びます」って。

(写真)主催している女医コンの様子
(写真)主催している女医コンの様子

丹後日本の将来を考えたら、若い世代の未婚問題は深刻ですね。

薬師寺僕は複数箇所の病院・クリニックで外来を受け持っているのですが、循環器内科担当のため、当然患者さんは高齢者が大半です。家族構成はいつも欠かさず聴取するのですが、神奈川県の病院で75歳以上の患者さんに何人孫がいるかを質問し集計してみました。結果ですが、20人の高齢者におけるお孫さんの合計はなんと36人でした(20人の高齢者から80名の孫であれば人口増減なしの計算)。これって2世代かけて人口が半減していることを意味するんです。息子と二人暮らしのおばあちゃんや、子どもと三人暮らしの老夫婦が多くて、これでは日本の人口が減るのも当たり前と、危機感を強くしました。日本これからが直面する少子高齢化、税収激減、医療費高騰の財源枯渇、実は一番スマートな解は子どもを増やすことなんです。そうした思いも、「女医コン」の背景にはあります。

丹後新しい会議のあり方の提案もなさっていますね。

薬師寺「百人会議」ですね。以前から感じていたことですが、日本の学会って情報の伝達がほとんどの場合一方向ですよね。マイクのところまで歩いて行って質問する人は100人に一人くらい。残りの99人は疑問や言いたいことで頭の中がもやもやしているはずなんです。壇上の有名な先生だけによるパネルディスカッションは聴衆の疑問を解決してくれないし、みんなただじっと聞いているだけ。でもですよ、せっかく集まったドクター達はもっと情報交換できるはずだし、会も面白くできるはずなんです。同世代のドクターに以前アンケートを取ったところ、90%超が面白くないと感じていました。じゃあ作ってしまえ、と言うことで全員がもっとインタラクティブに会議に参加できるシステムを開発しました。本システムで情報交換を活発にしより多くの学習が行われるようになれば、より多くのドクターの疑問が解け、その先の患者さんが恩恵に授かり、ひいては日本の医学のレベル向上にもつながると自負しています。そしてこれは医学会だけでなく、他の学会、他の産業にも広げていきたいと思います。

丹後学問として事業構想大学院大学でも学ばれました。

薬師寺NYから帰国後いったん枠の中に収まっていました。一方で心の奥では刺激を求めていて事業構想大学院大学に第2期生として入学しました。同級生は35人いて、医師は僕だけ。他の仲間は会社員や企業オーナー、公務員など多彩です。皆さん、それぞれ素晴らしいキャリアを積まれて、その上で僕と同じように既成の枠を超えようと学ばれています。ここで僕は事業構想の訓練を通じて、課題を見つけて解決策を考え、実行して検証するというPDCAを回すことを知りました。顧客目線でニーズを探るという視点も身についたと思います。多くの病院ではこうした発想はないので、僕にとって大変価値ある学びができました。

(写真)事業構想大学院大学のキャンパスで
(写真)事業構想大学院大学のキャンパスで

丹後医師としてのほかに、ビジネスマンとしての顔も。

薬師寺僕は医師が副業をしないのはもったいないと思うんですよ。医師は病院の外でもバリューを発揮できるんです。今、医療はアートの時代から標準化の時代に移っています。経験を共有することでシステム化が進み、ある規模の医療機関ならば同じクオリティの治療を受けられるようになりました。こういう状況は患者にとって利益が大きいですし、医療はそう進むべきだと思います。結果として、特に難易度が高いものでなければ僕が治療しても後輩のドクターが治療しても結果は異なりません。そういった医療界の流れのなかで僕はむしろ外に出た方が“自分が生きている感”がして、それで枠を飛び出しちゃったわけです。一般の方と我々医師の間のカラダに関する知識格差は明らかですから、親戚の体調不良からビジネスのアドバイスまでいろんなことで友達から相談されますよ。面白いプロジェクトであれば出資も含めて一緒にやろうって事にもなりますしね。

丹後スーツを着て会社で働いているだとか?

薬師寺そうです。現在は日本医療機器開発機構という会社でも働いており、そこでは、主に“自己心膜を用いた大動脈弁再建術”の国内外への普及の活動を行っています。日本医療機器開発機構(JOMDD)のブログに日本の医療自給率が低いことを示す記事が掲載されています(文末のリンク参照)が、日本人医師として、患者を治療するたびに海外の企業が儲かるのって悔しいじゃないですか。そういった理由で日本から医療機器を海外に売る“逆方向のビジネス”にも興味があり、こちらの会社でも現在働かせてもらっています。比較的英語も通じる方ですから、海外のドクターを相手に本手術のトレーニングの司会をやったりと、それなりですが手術の普及に役に立っていると思います。

実は手術の考案者である東邦大学の尾﨑教授は僕の母校である防衛医大の先輩で、僕が研修医のときにご指導していただいた方なんです。時を経た今も一緒にお仕事できているのは、もう運命ですね。この大動脈手術は今、海外の学会でも話題になってきています。自己心膜を使うためエコですし、コストエフェクティブです。現在は最長10年の成績が出ており、人工弁に比べて遜色ありません。今後も本手術の普及に貢献できればと思っています。


ロールモデルという言葉は嫌い。
自分らしい道を行きたい。

薬師寺かつて、僕が学生の頃は教育のたびにロールモデル、と言う言葉をしばしば聞きました。極端な言い方をすると“先人達の後を追いなさい。そうしたら成功するから”ということなのだと思います。たとえば30年前の医療にメッセンジャーや、スマホ・タブレットはありませんでした。また日本の巨大企業は次々と破綻し・海外企業から買収を受けています。かつての成功体験を追う事は実はリスクが高いと言うことを今日本人はようやく認識してきています。常にアンテナを張って新しいチャンスを窺い、可能性が高ければそこにリソースを投下する。僕はそういった人間でありたいと思っています。もちろんこのような生き方が医師全てに薦められるわけではありません。実際に王道を進まれている方々は本当に素晴らしいと思います。そういった方々とコラボレーションしながら新しいことをやりたいというのが僕の希望です。

丹後コミュニティの数だけ、違う顔がありそうですね。

薬師寺ちょっと多すぎるような気もしていますが。。でも自分の性質として、面白そうな人を見かけるとつい話しかけてしまうのです。例えば今住んでいるマンションでも、エレベーターで会話を始めます。面白そうな人だったら名刺を渡して次回ランチでもどうですかと誘います。なにしろエレベーターでの出会いですから誘わないと次に会うのは数年後になりかねませんからね。引っ越して半年後より月に一度集まるマンション内コミュニティを始めました。80代から0才まであつまる多世代コミュニティで既に4年継続しています。ココでは新年会やバーベキュー、競馬観戦等を通じて交流を深めています。他にも、地域の同世代のコミュニティを作ってエリアの最新情報を共有したり、世田谷在住の循環器内科医のコミュニティで治療の難しい患者の相談に乗ってもらったり。僕は自分から手を上げるのが苦じゃないんです。僕が手を上げて、そこに人が集まってくれて、みんなが楽しく交流してくれるのは僕にとっては大きな喜びなんですよ。


丹後そうした多彩な活動をされる中で、医師としてのご自分はどのように位置づけていらっしゃいますか。

薬師寺医師としての、ですね。フルタイムで大学病院で働いていたときは専門性を高めて特定の分野だけで食って行こうと考えていました。でも一方で、我々の顧客である患者は、普段の外来では専門性は求めていないんですね。むしろもっと気軽に相談できるドクター、また来たくなる外来を求めています。最近は僕は後者の方でより患者に貢献できると感じています。専門の知識や経験を生かしつつ顧客目線に立って仕事をする、そういうドクターを目指していますね。今はそういった外来を複数箇所でやっています。一方で僕は病院の外では僕は単なる子持ち中年男性ですので、医師と言うよりは地域のフレンドリーなオジサンをしています。

丹後収入的にはフルタイムでなくても大丈夫なのでしょうか?

薬師寺フルタイムでなくてもパートタイムで勤務していれば、きちんと家族と暮らして食べていける環境にあります(妻が女医というのもポイントですが)。収入がある程度保証されているので医師以外の活動にも自分の時間を使うことが出来るわけです。最近は保育園の送りとお風呂入れは僕の役目です。パパ業も積極的に楽しんでますよ。


丹後誰か、お手本にしている生き方はありますか。

薬師寺かつて医師としてトレーニングを積んでいた頃は数名の上司の生き方を参考にさせてもらっていました。NYを機に完全に価値観が変わり、今は誰も参考にしていません。最近では、医学部6年間のなかで多彩な活動をしている学生も増えてきています。昔はそんな学生はほとんど居ませんでしたが時代は変化しているので当然かもしれませんね。今後医師その他の医療従事者からもっと日本の未来につながるような活動や事業が生まれれば良いと思いますし、そうあるべきだと考えています。

丹後枠に収まらない生き方をされていると、他人のやっかみなどは感じませんか?

薬師寺いや、特に中傷されたり足を引っ張られたりといったことは感じないですね。“あいつ、アホだな”とは思われてるかもしれませんが・・・。「君、変だね」っていわれると「御言葉有り難うございます」と本気で口にします。やっぱり人と違った方が面白いでしょう?飲み会だってバックグラウンドが違う人同士の方が盛り上がりますよ。

丹後若い世代の皆さんに、メッセージをお願いします。

薬師寺人の生き方って、他人と同じでないといけない事と、他人と違った方がいい事があると思うんです。医師としてスタンダードな知識・技・経験は当然前者ですが、その上で後者=独自色を出していければ人生が面白くなると思います。そして独自色を出すときに専門家やジェネラリストとして頑張るのか、研究に励むのか、家庭や趣味を大切にするのか、他の分野に飛び出すのか、それは人それぞれで、皆さんの選んだ道が正解です。ただし、視野を広げてみる事は一旦試してみて下さい(国外留学、社会人大学院、男性の育休など)。目の前にある多様な選択肢に気づくと思いますよ。その後は自分流のブレンドで、明るく楽しく人の役に立ちつつ、人生を歩んで下さい。

このインタビューのまとめ

  • 医師としての専門性を究めるよりも他分野への興味が強かった
  • 自分主導で、自分のやりたいことをやればいい
  • 医療の外でも、医師はバリューを発揮できる
  • 医師だからこそ安定した収入のもとで自由に生きられる
  • 従来の医師像にこだわらず、自分流のブレンドを見つけて有意義な人生を送ろう

薬師寺 忠幸 プロフィール循環器専門医・心血管インターベンション認定医・内科認定医。大分県出身。防衛医科大学校卒業後、北海道、青森、埼玉、沖縄勤務の後に航空自衛隊を退官し現職。元Cardiovascular Research Foundation/コロンビア大学医療センターリサーチフェロー。ニューヨーク留学をきっかけに「大分県人会インターナショナル」を設立、帰国後は「女医コン」に代表される複数のコミュニティを運営している。循環器内科医として外来診療をメインで行いつつ、インタラクティブ会議システム「百人会議」の開発運営も手掛けている。

薬師寺忠幸氏の主な活動のご案内

Web

※本原稿にある所属先、役職等の記載は2017年4月1日現在のものです

※ご案内した活動の詳細はそれぞれ公式サイトにてご確認ください

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