“医療人”として働きがいを持って働くことを支援するメディア『ハコヤ』

帝京大学医学部附属病院
循環器内科

志のあるところに、道は拓ける。

施設
地域
職種

下積みは、自分を裏切らない。そこに意志のある限り。

「趣味なんてないですよ(笑)。今は仕事をしているときが一番楽しいって、そう書いておいてください」
川嶋秀幸は少しはにかみながらそう言う。

「周囲にいるのは凄い人ばかり」という環境の中、臨床と研究、さらには後輩の指導と、そのすべてが今は面白くてたまらないそうだ。
“しっかり休んでいますか” というこちらの質問に対して「ええまあ」と言葉を濁すが、休んでいるよりも仕事をしている方が何倍も面白いと顔に書いてある。
何ごとに対しても全力投球が身上だ。

(写真)川嶋 秀幸/帝京大学医学部附属病院/循環器一般/助手

医療の道を志したのは、高校時代。実家が病院を経営していたことも影響してはいるが、「人の役に立つ仕事がしたい」という思いが一番の動機だった。

循環器、中でも心臓内科を目指そうと思うようになったのは初期研修医の時代。
「心臓って格好いいじゃないですか。いかにも命を救うっていうところが」と照れくさそうに言うが、これは本心だ。一刻を争う患者と真正面から向き合い、その命を救うために全力を尽くす。それこそが “人の役に立つ” 仕事そのもののイメージだ。

だが、志は高くても実力が伴わなければ、格好いいも悪いもない。
川嶋は意気揚々と帝京大学医学部附属病院循環器内科で医師としてのスタートを切ったものの、すぐに理想と現実のギャップという壁にぶち当たってしまったのである。

「格好いいとか、仕事が楽しいとか、そんなことを言っていられる状況ではなかったです」

それなりに自信はあったものの、臨床も研究も、先輩医師と自分の間にあるあまりの力量差を見せつけられ、川嶋は愕然としてしまう。その時期を川嶋は「下積み」と表現している。

「下積みがあったから今がある。スポーツと同じです。バットの素振りを毎日1000回、3年間続ければ、その努力は決して自分を裏切らない。そんな思いで下積み時代を過ごし、壁を乗り越えました」

腐らず努力すれば必ず報われる。志さえあれば、絶対に乗り越えられる。
そうした時期を過ごしたからこそ、川嶋は「仕事をしているときが一番楽しい」と笑えるまでになったのだ。
もちろん、川嶋は素振りをやめたわけではない。
高校時代にイメージした将来の自分。その背中に追いつくために、今日もまた素振りを続けている。

道を拓くのは自分自身。先駆者は、その先に誕生する。

重症の大動脈弁狭窄症に対する新しい治療法として急速に普及しつつあるのがTAVI(Transcatheter aortic valve implantation)である。その若き第一人者が渡邊雄介だ。

「日本におけるTAVIの件数は間もなく4,000件を超えます。当院でも150件を超えました。これからはその成果を世界に向けて発信していきたいと思っています」
渡邊が “世界” と口にしたのには訳がある。

(写真)渡邊 雄介/帝京大学医学部附属病院/循環器一般 助教/弁膜症・経カテーテル大動脈弁植え込み術(指導医; procter)・冠動脈インターベンション・腹部ステントグラフト/筑波大学 医学専門学群出身

心臓専門病院での研修中、「人と同じ道を行くんじゃなくて、自分で新しい道を切り拓きたい」ともがいていた渡邊が、ふとしたきっかけで耳にしたのがTAVI。2007年当時、まだ海のものとも山のものともつかない治療法と目されていたTAVIを知り、渡邊は “これだ!” と確信。その習得のためにパリへ飛んだのである。

貯金をつぎ込み、ボロアパートに身を置いた渡邊はパリの病院に押しかけるようにして直談判。「無給でもいいから、TAVIの技術を学ぶために働かせてくれ」と、話を決めたのである。
渡邊の心には不安は一切なく、ただ「新しい治療法で日本の患者さんのために尽くしたい、自分の道を拓きたい」という思いで一杯だったという。

「もちろんフランス語も話せませんでしたが、ただただ必死でした」

(写真)後輩医師とカテーテル検査中の様子

武者修行と呼んでもいいような2年を過ごした後、渡邊は日本に帰国。帝京大学医学部附属病院に入職と同時にハートチームを結成し、TAVIを始めた。そのチャレンジはすぐに実を結び、帝京は日本有数のTAVI施設となり渡邊自身も日本のTAVI指導医となった。

このように医師としての渡邊にとって大きな岐路となったのが、パリに渡る決断をしたことだった。そしてパリでの経験は、渡邊の価値観さえも変えてしまうほど、大きなものとなった。

「フランスの医師たちは、医療もアートであると考えています。“その治療法はエレガントじゃないね” なんていう会話を普通に交わしていて、さすがに芸術の国だなあと感心しました。例えば手術一つとっても、彼らはいかに美しく行うかを大切にしている。賛否はあるでしょうが “患者は作品” とさえ考えている節があるんです」
パリで目の前にしたそうした価値観は、渡邊にとってはまさに衝撃だった。以来渡邊も、アートな医療、エレガントな治療を思うようになり、TAVIはそうした価値観にフィットする治療法でもあるのだという。

渡邊は海外の経験から日本の現状をみて、日本から世界に情報を発信することの重要性を感じている。TAVIのトップランナーである慶応大学の林田医師と豊橋ハートセンターの山本医師と多施設レジストリー(OCEAN-TAVIレジストリー)を始めたのもそういう理由である。

「せっかく大学病院にいるのだから、新しいアイデアでイノベーションを起こしたい。日本発のそんなウェーブを起こすことが、これからの私のビジョンです」

自分の可能性とは、自分が感じている以上に大きい。

「子どもを育てながら主婦業を楽しんでいるんじゃないかなと思っていたんですが、そんな予想とはまったくかけ離れた未来になっちゃいましたね。まさか自分が医局長になってるなんて」
紺野久美子は少し苦笑する。

(写真)紺野 久美子/帝京大学医学部附属病院/循環器一般 医局長・講師/循環器画像診断・心臓リハビリテーション

小柄で華奢。時に “切った張ったの世界” と言われる心臓内科の領域で第一線を歩いてきたとは、失礼ながらちょっと想像しづらい。
実際、初期研修2年目の秋に教授からの電話で循環器内科を勧められ、まったく予期していなかったその言葉に動揺し、願書提出締切日にやっと腹をくくったのだという。

「だって男社会じゃないですか。体力も必要だし、私にやっていけるか自信がなかったんです」
だがその一方で「“女だから”っていう言い訳をしたくない」という強い心を内に秘めているのが紺野。「やるしかないからやる」と、両足を踏ん張って坂道を登ってきた。

本気でもがく姿、闘う姿とは、必ず人の目にとまるものである。
循環器内科の道を決心したことが最初の転機なら、その次の転機となったのが、心臓リハビリテーションセンターの開設を担当するよう、命じられたことだった。
専門は画像診断。「診断だけじゃなく、治療もやるべきじゃないか」との上司の言葉にうなずき、紺野は次の挑戦に一歩を踏み出したのである。

「開設当初、チームの中に医者は私一人。理学療法士、栄養士、薬剤師などと力を合わせ、帝京大学医学部附属病院の循環器内科にふさわしい心臓リハビリテーションセンターのあるべき姿を模索していきました」

例えば都内のホテルのスポーツジムを見学させてもらい、メンバーと「こういう雰囲気はとてもいいね」「病院らしくない施設にしたいな」と意見を交わしながら、設計士やインテリア会社等と詰めていった。
「医師という職業では経験できないことをやらせていただき、とても楽しい作業でした」

そして、そのイメージを現実のものにするために、紺野はパワフルに動く。
例えば、室内の床はセンスのいい黒にした。常識的に言えば、黒は好ましいイメージではない。だが「病院らしくしたくないから」と紺野は反対意見を説得し、タブーを乗り越えていく。
あるいはイタリアからわざわざ取り寄せることにしたトレーニング器具は高価なものであったため、購入に際しては何度も話し合いを重ねることになった。紺野は、患者様個々のトレーニングにとっての必要性を考え、どうしても設置したいと訴えた。その結果、今ではこの器具は多くの患者様のリハビリにとって不可欠なものとなっている。

こうして開設されたのが2012年11月。「退院したときに違和感なく社会に一歩を踏み出せるように」との思いで完成した心臓リハビリテーションセンターは、今や循環器内科になくてはならない存在となっている。

「まったく予想してなかった道を歩いてきましたけど、今は肩に力が入ることもなく、自然体で過ごしています。やりたいことがやれているという満足感も大きいですね。これからどうなっていくのか、自分の将来が楽しみです」

芯の強さがあるから、口にできる言葉だ。そんな紺野の背中を追うように、多くの女性がこの道を志してくれることを願う。

本原稿にある所属先、役職等の記載は2016年7月27日現在のものです

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責任編集:丸川 かおり/ライター:丹後 雅彦/撮影:大籏 英武

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