“医療人”として働きがいを持って働くことを支援するメディア『ハコヤ』

社会医療法人一成会 木村病院 看護師(新卒) 看護師(既卒)

社会医療法人一成会 木村病院

がんばる人がいつまでも輝ける病院。

施設
地域
職種

あきらめなければ、夢はきっとかなえられる

高校卒業時にあきらめてしまった「看護師になりたい」という夢を、2児の母親となってからかなえた人がいる。杉本尚子だ。

「事務をしていたとき、上司から勧められて専門学校に通い、准看護師の資格を取りました。まさか大人になってからも学校に通うなんて自分でもびっくりですよ。」と杉本は笑う。

写真:杉本 尚子
(写真)杉本 尚子/社会医療法人一成会 木村病院 看護部 病棟担当/看護師

バスガイドや一般職に携わってきたそれまでの杉本のキャリアは、医療とはまったく関係なかった。木村病院に事務職として転職したのも、荒川区育ちの杉本にとって「昔から知ってて家が近かったから」という動機だった。そして、その真面目で気遣いのできる人柄に惚れ込んだ上司が「看護師を目指したら」と勧めてくれ、30代半ばにして大きなキャリアチェンジを実現させたのである。

「せっかくのチャンスだから、2年間、本気で頑張りました。病院もそんな私のチャレンジを応援してくれました。」

午前中は病院で働き、午後は学校。そして夜はまた病院で働く。変則的なワークスタイルを、職場の仲間は迷惑がるどころか、快く応援してくれた。頑張る仲間を本気で支えようとする、そんな風土が木村病院には根付いているのである。
だから、これは決して杉本だけの特例だったわけではない。杉本の先輩にも同じようにキャリアチェンジした看護師がいるし、これから後にも続くはずだ。

写真:杉本 尚子

夢は、あきらめなければ必ずかなえられる。そう信じている仲間に囲まれているから、“まさか”と思っていたことがここでは現実になるのだ。

資格を取って4年目の今年、杉本は春から病棟に勤務している。
「年下の先輩看護師に教わっています。みんな親切だし、私も年上だからとか遠慮せず何でも訊くようにしています。」

仕事で疲れて帰ってきても机に座って勉強をしていた杉本。その背中を見て育った2人の娘は、時に看護師への憧れを口にするという。
母がかなえた夢を、いつか彼女たちもかなえてくれるに違いない。

先輩がくれた言葉を、今度は後輩のために贈りたい

木村病院に勤務して15年というベテラン看護師の前田和美には、今も忘れられない言葉がある。

“仕事には代わりがいる。だけど母親には代わりはいない。だから遠慮しないで休みなさい。”

1人目の出産後に復職し、目が回るような忙しさの中、当時の看護師長が前田にかけてくれた言葉だ。その一言が心底ありがたくて「すみません」と頭を下げたら、今度は先輩看護師が“すみませんじゃなくて、ありがとうって言えばいいのよ”と笑ってくれたそうだ。

写真:前田 和美
(写真)前田 和美/社会医療法人一成会 木村病院 看護部 外来担当/看護師

「そんな言葉があったから、どんなに大変なときでも心が折れずに15年間頑張ってこられたんです。だから私はその恩返しをしたいんですよ。」

もちろん恩返しとは、今度は自分が若い看護師に同じように応援の言葉をかけてあげることである。

看護師としていくつかの職場を経験した後、前田が木村病院に転職を決めたのは、家が近かったことと職場の雰囲気がよさそうだと感じたことが理由だった。

「何よりも当時から長く勤務している看護師が多かったことに惹かれました。結婚を控えていて、ここなら子どもを産んでも長く働けそうだと思ったんです。」

現在も木村病院の看護師は、半数が子育てしながら働いている。先輩看護師のその姿は、後輩にとって最高のお手本。前田と同じ思いで入職した看護師が、やがて出産・育児を経て自分自身がよきお手本へと変わっていく。
そうしたバトンタッチが自然と続いてきたのが、木村病院なのだ。

「先輩が拓いた道を私も歩いてきたんです。」

写真:前田 和美

そもそも前田が看護師の道を志望したのは、7歳で父親を亡くしたことにきっかけがあった。母親は苦労しながら女手一つで3人の子供を育て、その姿を見て前田は「資格を取って早く自立しなければ」と思うようになったのだ。

だから今も前田は自分を成長させることに対して貪欲である。現在の職場は外来。内視鏡も担当していることから「せっかくのチャンスだから」と、この機会を活かして内視鏡技師の資格を取得したいと考えているのだ。
一歩前に進むごとに選択肢が広がっていく。そんな生き方をする前田の姿は、後に続く後輩たちに大きなチカラを与えてくれるに違いない。

ここでは誰もが誰かから“必要とされる”存在

「家も近いし、本当は子どもができるまでの腰掛けのつもりだったんですよ。」
照れたような表情でそう笑うのは江田恵子。腰掛けどころか、今や大黒柱の主任である。

「辞めなかった理由?やっぱり職場の環境ですね。子育てしながら働いている仲間が多いから、ここでは続けることが自然なんです。」

生まれた娘が1歳になって復職。夫の協力もあって、夜勤も当たり前のようにこなした。娘は、7歳になった今のほうが江田の夜勤を寂しがるようになったそうだ。

写真:江田 恵子
(写真)江田 恵子/社会医療法人一成会 木村病院 看護部 主任/看護師

職場の仲間と支え合って復職直後の大変な時期を乗り越えてきたことから、主任となった今、江田は後輩のためによりよい環境づくりをすることが自分の使命だと感じている。実際、退職する看護師がいないわけではないし、1人でも多くの仲間が1日でも長く働ける環境を実現するには、やはり職場の雰囲気づくりが重要だ。

「私たちの仕事は忙しいのが当たり前。その中で少しでも心に余裕を持てるようにしなければ。」

そこで江田が心がけているのが“声かけ”である。
表情の暗い仲間がいれば「どうしたの」と声をかけ、“辞めたい”と漏らす後輩がいれば愚痴にもとことん耳を傾けてあげる。
そして“ほめる”。

「相手のいいところを見つけて、ほめてあげるようにしています。そして、あなたは私たちにとって必要な存在だよと教えてあげます。」

江田のそうした気遣い、振る舞いは一人だけのものではない。職場に次第に広がっていき、今ではお互いをほめあうカルチャーとして定着してきた。歩調を合わせるように愚痴も減ってきたという。

写真:江田 恵子

「これから考えているのは、フィッシュ哲学を取り入れることです。どんな時でも仕事を楽しもう、ポジティブでいようというフィッシュ哲学の考え方は、ぜひここでも共有したいですね。」

小学校低学年で観たアニメ『キャンディ・キャンディ』に憧れて看護師を志すようになったという江田。今、後輩の良きお手本となることを自らに課し、そして、後輩のために自ら道を拓いていこうとしている。

本原稿にある所属先、役職等の記載は2016年9月29日現在のものです

※本サイトでの募集は終了しております。
採用情報については、公式サイトにてご確認ください。

タグ:
  • Facebook
  • twitter
  • LINE
  • はてなブックマーク

責任編集:丸川 かおり/ライター:丹後 雅彦/撮影:大籏 英武

前のページに戻る