一つの経験が人生を決めることもある。
職人ふうの頑固そうな表情を崩さず、岩渕は「医者は卒業後の数年間が勝負なんだよ」と口にして、目を細める。その瞬間に浮かぶ人懐っこさが、多くの人を惹きつけるのだろう。
他院から湘南藤沢徳洲会病院に移った際、その背中を慕うように200人の患者様と多数のスタッフがついてきたというエピソードにもうなずける。
祖父の代からの東京生まれという江戸っ子。なるほど、べらんめえ調が板についているのも納得だ。
岩渕が消化器の専門医を志すことにしたのは、若い頃のあるショッキングな体験が決め手だった。
当時、岩渕の実習先だった病院に、山歩き中に急に黄疸症状が出たという急患が運び込まれてきた。劇性肝炎との診断のもと、昼夜を分かたず治療が続けられ、岩渕も深夜に血漿交感を行った。だがそうした治療も空しく、患者様は亡くなってしまう。
ところが死後に判明したのは、実はその患者様は肝硬変だったという事実だった。
岩渕の習った教科書には載っていなかった症例で、この経験から岩渕は現場こそ最高の教科書であると知り、消化器の専門医を目指すことを決めたのである。
「一つの経験が人生を決めることがあるんだよ。その経験はショッキングなほど、いい。だって、その方が財産になるからね。」(岩渕)
その点で、どんな患者様も断らない湘南藤沢徳洲会病院は、多くのプライマリ・ケアを体験できることが魅力だ。「長いドクター人生の出発点とも言える体験ができるはず」と岩渕は言う。
30代半ばで当時勤務していた大手生命保険会社を退職して医学部に入学したという経歴を持つ清水も、同様のことを口にする。
「毎日のように重症の患者様が運び込まれる環境です。シビアな現場に立ち会うと最初はフリーズしてしまいますが、次第に体が動くようになり、次に頭が動くようになる。」(清水)
そして、後期研修医となると、その厳しさにはさらに輪がかかるという。
「体が動くようになった次は、周囲の人間を動かして治療の方向性を決められるようになります。もちろん仕事そのものは初期研修以上にハード。私なんて1年で300日は病院のソファに寝ていますから。でも、そんなハードさを由としなければ医者として生きていけないと思うんですよ。」(清水)
30代半ばで医学部に入ると宣言したと聞いて呆然と立ちつくしたという奥様も、そんな清水の姿を見て、背中を押してくれている。
「医者は修行の世界。それを当然のことと受け止められなければ。」(清水)
科の壁を超えていけ。そして吸収しろ。
「医者は修行の世界」という清水の言葉は、重い。職業というより、“道”というほうが正しいかもしれない。
では、その修行とはどういうものだろうか。
岩渕の言葉にヒントがあった。
「専門の診療科を持ちながら、治療法、診断法は科の壁を超えなければならない。例えば内科医だって外科的処理とか放射線科の治療とか。わかりやすく言えば、カテーテルの使える内科医になれ、ということだな。」(岩渕)
なぜかといえば、理由は簡単。それが患者様にとってベストだからだ。
そして湘南藤沢徳洲会病院には、そうしたクロスボーダーな環境があるという。
「カンファレンスでも各科の専門医が集まってディスカッションする。後期研修医もその席に加わることで、各専門科の最新の治療法を知ることができる。」(岩渕)
「真のセンター医療とは、各診療科の壁を超えたところに生まれる」(岩渕)のだ。
一方の清水は、そうした専門医としての成長を支えてくれる環境が湘南藤沢徳洲会病院にはあると語る。
「組織としての安定性を非常に感じます。自由にやらせてもらって、それを支えていただいているという実感ですね。例えば人工透析について別の病院で学んできたいと言えば、やりたいことをやればいい、と応援してもらえる。欲張りな医者ほど向いている病院だと思いますよ。」(清水)
もちろん現状で十分だとは、岩渕も清水も思っていない。改善すべき点も多くあると感じている。教科書に書いてないことほど面白いし、それこそが現場で学ぶ醍醐味。
「若い時にしか吸収できないことがあるんだよ。そのために理想的な環境を、これからつくっていく。」(岩渕)
その言葉は、若き医師たちへの力強いエールでもある。
本原稿にある所属先、役職等の記載は2016年5月31日現在のものです
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