100歳まで現役の医者だった祖父
丹後お祖父様、お父様と三代続けて医者だそうですね。
岩畔慶太先生(以下、岩畔)祖父は広島の呉で開業医をしていました。100歳まで現役の内科医として仕事をし、亡くなったのは108歳でした。また父親も、東京で新規に内科のクリニックを開業して、祖父の意思を継いで仕事をしてきました。
丹後100歳まで現役でいらっしゃったんですか!
岩畔はい。医師として尊敬すべき祖父です。昔のことですから、急患のときは人力車に乗って往診したそうです。非常に患者さん思いの人で、まさに地域に密着した町医者として慕われていたようです。
丹後お祖父様は広島ですが、お父様は東京で開業されたんですね。
岩畔はい、このクリニックが開業37年目で私も37歳です。私が生まれた年に父がこの場所に開業をしました。以来、この学芸大学駅前の立地でクリニックを続けてきました。文字通りの“かかりつけ医”として、近隣の皆さんが何かあれば気軽にお見えになるクリニックとして地元に溶け込んでいます。
丹後そのような家庭環境ですと、先生ご自身も医療の道に進むのは早くから決めていらっしゃった?
岩畔そうですね、高校時代に進路を決めるとき、ごく自然に医学部を選んでいました。人に接するのが好きでホテルマンのようなサービス業に就きたいと思った時期もありましたが、医者だってサービス業ですからね。私としては特に違和感なくこの道を選びました。
丹後どんな学生時代を過ごされましたか。
岩畔旅が大好きですので、バックパックを前後に背負って世界を歩きました。ヨルダン、ペルー、アルゼンチン、エジプト…。卒業旅行では世界一周をしましたが、友人と一緒に各国で現地の病院をアポなしで訪ねて、見学させてもらうこともしました。10施設ほど、見せてもらったと記憶しています。
丹後学生時代ならではの旅行でしたね。得たものも大きかったのではないでしょうか。
岩畔学生時代は試験勉強に明け暮れる日々でしたし、医者になると仕事の日々なので、本当に学生時代にやりきったぐらい世界を旅して良かった!!と、強く思っています。医療に携わるものとして、とくに旅を通して、世界中の医療について色々と見聞を深めることができました。例えばイースター島の病院では古めかしい医療機械を大切に使いながら治療を行っているし、スペインでは医療にも芸術性を求める風土があることを知りました。まさに医療の多様性を目の当たりにできたと思います。
医者は、“弘法筆を選ばず”ではいけない
丹後先生のご専門は消化器内科ですね。
岩畔学生時代は内分泌など検査結果から考える領域が楽しかったのですが、研修を経て働くようになってからは、現場で手技を磨くことが楽しくなってきました。内科で手技が多い領域は消化器内科なので専門にしました。
丹後手技と聞くと、職人的なイメージが浮かびます。
岩畔まさしく内視鏡は職人の世界です。どうしても内視鏡検査は、患者さんにとって辛い検査というイメージが強いので、辛くないように内視鏡を使うには、私たち医者が数多くの経験を積み、常に腕を磨いていく必要があります。件数を重ねれば重ねるほど、そこに“これでいい”という限界はなく、非常に奥が深いですね。患者さんに「辛いから内視鏡はもう二度とごめんだ」と思わせるようでは、失格ですから。職人ですから当然道具にもこだわりたいので、大学病院などが取り入れている最新の内視鏡を導入しました。昔から、“弘法筆を選ばず”ということわざがありますが、より良い医療サービスを患者さんに提供するには、やはり検査機器にもこだわることは大切だと考えています。
丹後お父様のクリニックを継ごうと決心されたのはいつですか。
岩畔今から数年前です。
丹後お父様はさぞ喜ばれたのでは。
岩畔そうだと思います。いずれは継ぐつもりでしたし、父も自然なこととして受け止めていたと思います。父は仕事が趣味という人ですので私が継いだ今も仕事をしています。それでも最近は、ジムに通い始めるなど、徐々に自分の時間を持つようになってきた様子です。
丹後医療承継は多くのクリニックにとって悩みのタネですが、先生はうまく引き継がれたようですね。
岩畔色々な方から、継承は大変という話は聞いていたので、数年がかりでじっくりと進めました。電子カルテの導入を皮切りに、最後は1ヵ月診療を休んで全面リフォームするまで、4、5年かかりました。その間、ホームページを開設したり、日曜診療を始めたりと、経営の仕方も大きく変わりました。
丹後医療承継で注意すべき点は、どういうところだと思われますか。
岩畔医療はアカデミックな世界ですから、技術の進化に伴って当然のことながら若手の方が新しい知見を身につけて、現場で診療をしています。例えば以前は、風邪の患者さんには漠然と、すぐに抗菌薬を処方していましたが、最近では、抗菌薬は薬剤耐性菌を増やす一因になると懸念され、季節性の風邪に効果もないことから、世界各国で原則処方しないという取り組みが行われています。この様に、昔と今では、知識も治療も異なることがたくさんあります。しかし、医療承継をして感じることは、頭ごなしに昔のやり方を否定してはいけないということです。焦らず、急がず、じっくりと新しい医療方針を受け容れてもらうようにするといいでしょうね。これは患者さんに対しても同様で、十分なアナウンスもせずに医療方針を切り替えると「若先生は抗生剤もくれない」って不満に思われてしまいます。
予防医学を通じて地域の健康寿命を延ばしたい
丹後お父様は現在おいくつですか。
岩畔70歳です。父がしっかりクリニックとしての基盤づくりをしてくれたおかげで、私も苦労せずに受け継ぐことができました。親子二代の患者様も少なくありませんし、父には本当に感謝しています。
丹後お子さんは?
岩畔3歳の息子がいます。
丹後では、四代目は安心ですね。
岩畔医師として患者さんのために役に立つというのは、大変なことも多いけれど、素晴らしい職業だと日々感じて仕事をしています。息子が成人する頃には、医学はさらに大きな変化をしているので、父として薦めたい職業だと思いますが、最終的には本人に任せたいと思っています。
丹後それにしてもリフォームで1ヵ月間休診したときは、不安もあったんじゃないですか?
岩畔それはありましたね。父もそのことを一番心配していました。ただ、幸いなことに患者さんは皆さん戻ってくださいまして、父も本当に喜んでくれました。これも父が長年にわたって患者さんとしっかりした信頼関係を築いてくれたおかげです。
丹後今後、先生はクリニックをどのように経営されるお考えですか。
岩畔地域に根付いた町医者としての使命感もありますが、常に次の一手を考えられる町医者でありたいと考えています。具体的には、予防医学に力を入れて、地域の皆さんの健康寿命を延ばしたいと考えています。「がん」だって早期発見して早期治療ができれば怖くありませんし、最新設備の内視鏡検査機器もそのために導入しました。地域の皆さんに、予防医学の大切さを伝えられたらと思っています。
- ・医師もサービス業
- ・世界を歩いたことで、医療の多様性について知る
- ・医者なら道具にはこだわらなければならない
- ・医療承継は焦らず、急がず
- ・頭ごなしに古い治療法を否定してはならない
岩畔 慶太 プロフィール1980年、東京都生まれ。帝京大学医学部卒業後、慶應義塾大学病院で初期臨床研修。その後、国立病院機構東京医療センター、都内のクリニックなどで消化器内科医として勤務。2017年より、先代の父から「医療法人社団岩畔会 学芸大駅前クリニック」を引き継ぎ、理事長に就任し現在に至る。専門は消化器内科、内視鏡検査。日本内科学会総合内科専門医、日本消化器病学会専門医、日本消化器内視鏡学会専門医、日本消化器がん検診学会認定医、日本旅行学会認定医。
学芸大駅前クリニックのご案内
科目 | 内科・胃腸内科・呼吸器内科・循環器内科・小児科・アレルギー科 |
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住所 | 〒152-0004 東京都目黒区鷹番2丁目20-10 学大80ビル3F |
診療日・時間 | 平日 午前9:00〜午後1:00、午後3:00〜午後8:00 土曜・日曜 午前9:00〜午後1:00、午後3:00〜午後6:00 休診/祝日のみ |
電話番号 | 03-3793-8170 |
Web | |
院長 | 岩畔 慶太(2017年より) |
開業 | 1980年 |
- 本原稿にある所属先、役職等の記載は2017年9月15日現在のものです
- ご案内した情報の詳細はそれぞれ公式サイトにてご確認ください