臨床でしか得られない肌感覚は医師としての大きな財産
丹後先生が精神科医を目指すことになった理由は何でしたか。
庄司剛先生(以下、庄司)もともと人と向き合い、触れ合うのが好きでした。医者を目指すに際し、精神科医ならば患者様と深いところで向き合えるのではないかと思ったことが一番の理由です。哲学や心理学の本が好きでよく読んでいましたし、精神分析を題材にした作品を数多く手がけている筒井康隆の小説も好きでした。
丹後筑波大学を卒業後、東京大学医学部附属病院の心療内科に入局されました。
庄司心療内科は内科の1セクションなので、1、2年目は内科のローテーションで学びました。身体科ですので、精神科ではどうしても薄くなりがちな全身の生理学や医学を学ぶことができたという実感はありました。また、精神科の患者さんには糖尿病や高脂血症など生活習慣病の症状をおもちの方が少なくありません。それらを診療の背景として考える際に内科での学びは役立っていると思いますし、薬の処方でも同様です。その後、長谷川病院の精神科に移り、5年ほど本格的に精神科を学びました。
丹後臨床ですから、得たものは多かったでしょうね。
庄司市中病院でしたから急性期の患者さんに接しました。臨床の最前線ならではの学びができたと思います。例えば治療の際、暴れる患者さんに殴られそうになったこともありました。具合の悪そうな患者さんを前にしても、経験がないと「患者さんに殴られるなんて疑ってはいけないんじゃないか」「怖がり過ぎじゃないか」とつい思ってしまうんです。そもそも他人から殴られそうになるなんて、普通の生活ではめったに経験できることではないですから、ショックで動転もしますし。けれどもそうした経験を重ねていくことで、本当に危険な状態が肌感覚でわかるようになっていきました。
言葉では表せないけれど、ピリピリと緊迫した空気を感じるというか。臨床の現場での肌感覚というのは科学的でないかもしれないし、数字で測れるものではないけれど、実は案外重要なんじゃないかと学びました。
丹後精神科は患者さんの状況が目で見てすぐわかるとは限らないので、肌感覚は特に重要かもしれませんね。
庄司そう思います。若いときにこうした経験をしておくことは精神科医にとって大切なことではないかという気がしています。その意味でも長谷川病院には感謝していますし、今でもお世話になっています。
情緒的に他者と深く関わることの大切さを学ぶ
丹後その後、ロンドンにあるタビストッククリニックに留学されました。ここで本格的に精神分析を学ばれることになったのですね。
庄司精神分析的精神療法の勉強をしようと考えてロンドンへ飛びました。期間は5年間で、実に多くのことを学びました。
丹後どんなことが印象に残っていますか。
庄司イギリスには国民保健サービス(NHS)と呼ばれる保険システムがあります。この制度では、外国人も含めて住民はすべて無料で医療サービスが受けられます。タビストッククリニックはこの医療サービス機関の一つでした。
イギリスではGPと呼ばれる家庭医がまず患者さんを診察するのですが、ここでは精神的な問題を抱えた患者さんも、簡単な抗うつ剤の投与や簡易な認知行動療法などの一般的な治療を受けることができます。それで事足りない場合には二次医療機関へ送られることになり、その中でも特に精神療法だけを行う受け入れ先の一つがタビストッククリニックということです。
そういう仕組みですから、スタンダードな薬物療法などでよくならない複雑な問題を抱えた方、お金のない患者さんや外国人など、実に様々な患者さんがいました。
丹後まさしく多様性ですね。
庄司考え方、生活様式、文化、価値観など、日本では想像もつかないほど多様でした。そういう患者さんたちと日々接したことは貴重な体験となりました。世界というのはこれほど多様性に満ちているのかという驚きがありましたし、自分の価値観は偏った一つの価値観に過ぎないんだと痛感しました。
丹後知らない間にそんな偏った価値観に拘束されていたと。
庄司そうですね。そこからいかに自由であるべきかが重要だと気づきました。実はこれは精神分析にも通じることなんです。ユダヤ人であるフロイトはユダヤ的な価値観から出発しているのは間違いありませんが、いかに人は世俗的な価値観に縛られているか、そこからどのようにして自由になるかを、精神分析の一つのコンセプトとして打ち立てました。あとは、他者と感情的に深く関わることに強い情熱をもつ人が多かったですね。
丹後どういうことでしょう。
庄司日本人でも、本気で喧嘩をすることで本当に親しい友人になれるということがあるじゃないですか。相手の良い点も悪い点もすべて受け入れてこそ真の親友になれると思うんです。そうした感情的な深い関わりに対して強い思いをもつ人が、日本人よりも多いと感じました。実はこれはセラピストと患者の関係の基本でもあるんです。まずは感情的に深い関わりをつくることがセラピーでは非常に重要です。
丹後そうした気づきを得たことは、一種のカルチャーショックだったでしょうね。
庄司明らかに日本とは違いましたからね。だからカンファレンスに参加して、エモーショナルコンタクト、つまり情動的な接触という言葉を耳にしても、最初の頃はあまりピンときていなかったんです。感情の深い関わりの重要性が理解できるようになるにつれ、3年目ぐらいからやっと実感として次第にわかってきたことでした。
Evidence Based Medicineへのカウンターとして
庄司ロンドンでは私自身が精神分析を受けたことも大きな経験となりました。
丹後とおっしゃいますと。
庄司個人でやっている分析家の部屋に通い、週に5回、50分、カウチに横になってセラピーを受けることを留学中ずっと続けました。精神分析というのは週4回以上のセラピーを指すのですが、この治療者になるためには治療者自身も同じ治療を受けることが必須とされています。感情的な体験から学ぶことが精神分析の基本であり、今お話しした情動的な深い関わりを患者さんともつためには、治療者としてまずは同様の深度の体験が不可欠ということなんです。私の場合はそれを上回る頻度で体験できました。この体験は臨床医、セラピストとしてはもちろんのこと、人間としても私の核を形成してくれたと思っています。
丹後これから精神医学を目指す方にとって、含蓄のある言葉ですね。
庄司現在の精神科の研修システムでは分析的なことはほとんど触れられません。Evidence Based Medicine、つまり実証主義が中心になっており、今のような話は情緒的過ぎて科学とは相容れられないものとされているのです。その結果として現在の日本の精神科に精神分析の考え方はほとんど見られなくなりました。私は、それは大きな損失だと思うんです。先ほどお話しした“殴られるんじゃないか”というピリピリした肌感覚も含めて、患者さんと向き合ったときに自分の情緒がどう動くかなんて数値化できないじゃないですか。こういう情緒的な考え方を若い精神科の先生方はまた学ぶようになってくれるといいなと思っています。
丹後ロンドンでの留学を終えて帰国され、「心の杜・新宿クリニック」での勤務を経て、2021年4月にこちらの「北参道こころの診療所」院長に就任されました。
庄司精神分析的、情緒的な関わりを精神科の診療に活かしたいとの志で着任しました。私を含めて3人の医師が常勤となっており、3人ともこの思いは共通です。とにかくEvidence Based Medicineに行きすぎている流れへのカウンターになれたらというのが、今の思いです。ジェイミー・オリバーというイギリス人のシェフがいます。彼はジャンクフード主体の子どもたちの食生活を変えるべく、学校給食の改善運動に取り組んだことで知られています。同じような変革の波が精神医療の世界でも起きて、行きすぎた実証主義に対する揺り戻しが起きて、情緒的な関わりの大切さが認められるようになったら嬉しく思います。それも医療関係者だけでなく、広く世間一般の方々にもメッセージを届けたいですね。
- ・若いときこそ、臨床で肌感覚を磨いて欲しい
- ・相手と深く関わることの大切さを留学で学ぶ
- ・行きすぎた実証主義からの揺り戻しを
- ・情緒的な関わりを大切にする精神医療を取り戻したい
- ・世間一般に向けても同様のメッセージを発信したい
庄司剛 プロフィール筑波大学医学専門学群卒業。東京大学医学部附属病院心療内科、長谷川病院精神科を経て、ロンドン、タビストッククリニック成人部門に留学。帰国後心の杜・新宿クリニックに勤務。2021年4月より北参道こころの診療所院長に就任。
所属学会日本精神分析学会
日本精神分析的精神医学会
日本心身医学会
日本精神分析協会訓練生
主な資格精神保健指定医
BPC (British Psychoanalytic Council) Psychodynamic Psychotherapist
TSP (The Tavistock Society of Psychotherapist) メンバー
庄司剛先生の主な活動のご案内
所属機関名 | 北参道こころの診療所 |
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住所 | 〒151-0051 東京都渋谷区千駄ヶ谷3-32-2 北参道ウイングビル2F |
Web |
- 本原稿にある所属先、役職等の記載は2021年7月9日現在のものです
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