2021.06.01 掲載開始
“点”の取り組みは
やがて“面”となって全国へ。
自宅で穏やかに生を全うしたい。そう願う人々にとって訪問看護ステーションは、代えがたい拠り所だ。同時に医師やケアマネージャー等との連携によって、地域医療を支えるコアともなり得る。今後、存在感がますます大きくなっていくのは間違いないだろう。
「ところがそのニーズと供給がうまくからみあっていない現実があるんです」と、塩澤伸一郎(株式会社RMI代表取締役)は眉をひそめる。どういうことだろうか。
「新しいステーションができては閉鎖し、次がオープンしてはまた潰れる。そんなことが繰り返されているエリアもあるんです。いつしか地域の医療機関やケアマネージャーも“ああ、またか”と、新しいステーションには期待しなくなる。悪循環です。」
実は塩澤が2022年1月にオープンさせようと奔走している「八王子西訪問看護ステーション」(仮称)ができる八王子市館町(たてまち)も、まさにそんなエリアだ。「だからこそ使命感をもって取り組みたいんです」と塩澤は顔を上げる。
高齢化が進む八王子市に訪問看護ステーションは40余り。圧倒的に不足している。増え続ける在宅ケアへのニーズに、これではとても応えられるわけがない。だから“どうせ無理”と思われて利用者は増えず、事業は黒字に転じることなく、ついにはクローズとなる。こうした現実にくさびを打とうと、塩澤は意を決したのだった。
塩澤自身は研究者であり、大学での非常勤講師を務めるなど、事業経験が豊富というわけではない。自らも「私は素人だから」と口にしている。
そんな“素人”がなぜ八王子市での訪問看護ステーション経営という、無謀にも思えるチャレンジを決意したのだろうか。実はそこにはやむにやまれぬ強い使命感があった。
「老年学では看取り場所について学生や研究者と議論します。現在の日本では圧倒的に病院での看取りが多い、本人が望む最期の場所とは違っています。本人の望みを叶えるためには訪問看護ステーションの役割がとても重要なのです。
さらに、大学や企業での研究活動を通じて私は、日本の臨床研究が進まないことに危機感を抱いていました。わかったことは、臨床の現場では医療と生活支援が混在し、本来医療に費やすべき時間と人が生活支援にも割かれているという現実でした。だからこそ生活支援の必要な人には自宅や地域へ帰ってきてもらうことが大事だと思い、その手段として訪問看護ステーションを立ち上げようと考えたのです。」
つまり貴重な医療資源の再配置。そのビジョンこそが、塩澤の決意を促したのである。だから「八王子西訪問看護ステーション」が事業的に成功しても、規模を拡大しようとは今は考えていない。
「医療の現場では医療を、地域では生活支援を。そんな新しい枠組みが成功したら、これを“八王子館町モデル”として全国の同じ志の人々に広めていきたいんです。」
“点”としての塩澤の志が、やがて全国に広がって“面”となっていけば、この国に新しい医療の枠組みが定着する。それが塩澤の描く未来だ。
「“もっと患者さまに寄り添っていたいのに”という本音を抑えつつ仕事に追われている看護師さんも、訪問看護ステーションという場ならば存分にその思いをかなえられるでしょう。」
その具体的な手順や方法は、現場の看護師に任せる方針だ。大切なのは理念と志。それが共有できていれば、あとは心配いらないと塩澤は断言する。「看護師という職業はすごいと思う。だから私は看護師さんの活躍できる環境を作っていくことが大好きなんですよ」と笑う塩澤らしい腹のくくり方だ。
塩澤の踏み出す一歩は、医療と生活支援の枠組みを変える新しい一歩。そんな大いなる挑戦に歩調を合わせられるのは、とても幸せなことだろう。
“ちょっとしたお節介”を、この地域のために。
塩澤の挑戦を支えようと自ら応援団役を買って出たのが、相模原市・広瀬病院の理事長である廣瀬憲一である。
廣瀬が塩澤から訪問看護ステーション立ち上げの話を聞いたのは2020年末のこと。塩澤の語る「枠組みを変えたいんだ」という言葉に廣瀬は「これは面白い!」と反応。即座にサポート役を申し出た。「自立した生活を支える訪問看護ステーションは間違いなくこれからの社会に必要なのに、事業として安定して成功しているケースは少ない。だからこそ塩澤さんが成功すれば大きな希望の星となって、後に続く人も増えるだろう」。そんな思いが、廣瀬の心に沸いたのだ。
広瀬病院は1950年に廣瀬の両親が開設した。以来半世紀以上にわたって地域の医療を担い、地域とともに歩んできた。だからこそ高齢化が進む多摩エリアの現実を目の当たりにしながら廣瀬は、医療と生活サポートを在宅で提供することの重要性を痛感している。
「健康を損ねてからではなく、そうならないために関わる。利用者さんの“未来”のためにちょっとしたお節介をするのが訪問看護ステーション。生活サポートを通じて例えば体重コントールを指導したり、薬の飲み忘れを防いだりすることで、利用者さんが5年後も自宅で健やかに過ごせるようにすることが一番の役目です。」
もちろん看取りも大切な役割だ。
「長年暮らした環境で、穏やかに最期を迎えたいというのは自然な願いです。訪問看護ステーションが地域の人たちのそんな思いを受け止め、かなえることが出来るような社会にしていきたい。」
塩澤の掲げるビジョンに対しても、廣瀬は心を寄せる。
「『八王子西訪問看護ステーション』が地域のセーフティネットになれるよう、地域の医療機関とのリレーションづくりを手伝っていきたいと考えています。“広瀬病院との連携体制があったから成功したんだ”と思われちゃダメなんです。地域の医療機関のサポートがあったから、といわれるようにしたい。そうなってこそ“八王子館町モデル”が成立し、全国に波及していくんです。」
塩澤の大きな思いに響き合える、力強い応援団だ。
理事長という要職にありながら、廣瀬は自らモップを手に待合室などの掃除を厭わない。「投薬や注射を打つことだけが医療サービスじゃない」との考えからだ。
その姿は、“ちょっとしたお節介”の廣瀬なりの体現にも通じる。
地域の生活支援のコアになれる。
“ちょっとしたお節介”とは、例えば切れかけた電球を交換してあげたり、日用品の買い物に行ってあげたり、郵便を出してあげたりといったことだ。そんなサポートを訪問看護の際に提供することが生活支援につながる。
「別に高度な技術なんていらないんです。どうしてほしいかを聞いて、かなえているだけ。」
そう笑うのは訪問看護でキャリア25年のベテラン、尾嶋万寿子だ。現在は相模原市の訪問看護ステーション「そら」で管理者を務める。
看護学校卒業後、病院で看護師として働いていた尾嶋が訪問看護の世界へと道を変えたのは、市役所の保健師とともに在宅療養中の難病の方の訪問へ行ったことがきっかけだった。
「散らかっている家があれば、片付けから取りかかりました。そうやって暮らしを整えていくことが面白くなり、訪問看護ステーションで勤務するようになったんです。」
以来四半世紀。こんなにも長く続けられた理由を問うと、尾嶋は「自分の成長が実感できたから」と答えた。
「1人で訪問するから、経験のすべてが自分の財産になります。もし困ったことがあればヘルパーさんやかかりつけのお医者さんに助けを求めればいい。そうしたすべてが学びになりました。」
そして尾嶋は気づく。“訪問看護師が在宅ケアを支える地域のコアになっているんじゃないか”と。
医療や福祉と協力して、一つの家族のようになって利用者を支える。そのハブとなっているのが訪問看護ステーション。橋渡し役といってもいいだろう。その実感こそ、仕事の充実感につながっている。
だから塩澤が準備を進める「八王子西訪問看護ステーション」に対しても「地域の自治会との交流も大切にしてほしい。いろんな壁を乗り越えて、地域を支えるネットワークをつくってほしい」と期待を寄せる。
もちろん尾嶋は、看取りも行う。単身者であっても自宅で最期を迎えたいとの思いに変わりはなく、尾嶋は生活を整えてあげることで、その思いをかなえさせてきた。そこで気づいたのが、訪問看護があるから人は病院から地域に帰り、そして自宅で生を全うできるんじゃないかということ。
「きっと病院も病院本来の仕事に力を注げるんじゃないでしょうか。」
つまり医療リソースの最適化。塩澤の描く“新しい枠組み”を、尾嶋は現場のプロの実感として抱いていたのだった。
- 本原稿にある所属先、役職等の記載は2021年5月8日現在のものです
八王子西訪問看護ステーション 看護師(常勤職) 募集要項
施設所在地 | 【訪問看護ステーション】 東京都八王子市館町1097-2-5 |
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施設区分 | 訪問看護ステーション |
募集職種 | 看護師 |
募集資格 | 看護師免許、普通自動車運転免許 医療現場での勤務経験(5年程度以上) 訪問看護経験またはJONPF認定の診療看護師(ナースプラクティショナー) |
雇用形態 | 常勤 |
業務 | 地域にお住いの高齢者のお宅へ伺う「訪問看護」 |
給与 | 当社規定による ※経験者優遇します |
募集人数 | 複数名 |
勤務時間 | ①8時30分~17時30分 ②9時00分~18時00分 夜間休日オンコール体制 |
休日・休暇 | 完全週休2日制(日曜日+1日) |
福利厚生・諸手当など | マイカー通勤可能、通勤手当支給 |
社会保険 | 健康保険/厚生年金/雇用保険/労災保険 |
Web | » 株式会社RMI公式サイト |