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湘南鎌倉総合病院 初期臨床研修医

湘南鎌倉総合病院

夢の力を信じる仲間がいる。

施設
地域
職種

定員に達し次第、応募は締め切りとなります

夢は、ぶれない。それは“軸”があるから。

それは人生を決定づけた衝撃的な光景として、今も中西貴大の脳裏に焼き付いている。

「放課後のホームルームに、担任の先生が泣きながら入ってきたんです。そして、教え子が事故に巻き込まれたようだ、と。」

2006年春、兵庫県のJR福知山線で起きた脱線事故の日のことだった。40代の男の教師が生徒たちの前で涙を流している姿は高校生の中西の心を激しく揺さぶった。

写真:中西 貴大
(写真)中西 貴大/湘南鎌倉総合病院/2年次研修医/三重大学 医学部出身

それより10年以上さかのぼって、中西は5歳の時に阪神・淡路大震災を経験している。直接的な被害こそ受けなかったがリビングルームの中央で父親が呆然と立ちつくしている姿を中西は今も憶えている。

大震災こそ遠い記憶ではあるものの、この二つの出来事は中西に命の重さを深く考えさせ、“目の前の人の命を助けたい”という思いを醸成させることになった。
現在、災害医療に対して強い関心を持っているのも、原点はここにある。

医療の道を志したきっかけが高校時代までにあるなら、研修先として湘南鎌倉総合病院を選ぶことにした背景は学生時代にある。

「大学1年の夏休みに東南アジアの途上国に一人旅をして、途上国の医療事情に関心を持つようになりました。3年生ではラオスの医療支援をする団体を設立し診療所の支援を行ったあと、1年間休学して世界の医療事情を学びました。」

こうした経験から、将来は途上国への医療支援に携わりたいと志すようになり、「そのためには英語力が必要だから、医療の現場で活きた英語を学びたい」との考えで、外国人の医師が常勤で働いている湘南鎌倉総合病院での研修を決めたのである。

写真:中西 貴大

その希望どおり、「そんなに甘くはなかったです」と頭をかきつつ、中西はこの外国人医師による講義や臨床での指導を通じて“医療の道具”としての英語を吸収しているところだ。

「それよりも大きいのは、世界標準の医療について学べることですね。例えば感染対策などは徹底されていると思いますし、何よりも患者様に対する態度がとても紳士的なのには驚かされます。医師としてのプロフェッショナリズムを教わっています。」

そして、多くの症例に触れられることも、湘南鎌倉総合病院を選んだ大きな理由だった。

「先輩からは、“患者様が幸せになるにはどうしたらいいかを考えろ” “患者様が自分の家族だったらどうするかという視点を忘れるな”と叩き込まれています。それはとてもシンプルだけど、とても重要なこと。医療人としてぶれてはならない軸が、この病院にはあると思います。」

写真:中西 貴大

今、中西が考えているのは、途上国への医療支援にしろ、災害医療にしろ、システムづくりや行政の協力など、マクロな視点からのアプローチが不可欠だということだ。“患者様のため”という軸はぶれることなく、その上で一歩引いて俯瞰することが必要ではないかと思案している。

「途上国への医療支援でそんな仕組みづくりをしながら、日本でも地域医療に貢献したいですね。」
中西の想いは一途だ。

医師としての真価はここでの2年で決まる。

中西が途上国への医療支援という夢を口にすると、周囲は「やりたいことに挑戦しろ」と応援してくれる。「夢は自分でつかめ」と背中を叩く先輩もいる。その環境こそ、湘南鎌倉総合病院の一番の魅力なのではないか。

中西の一つ後輩の平光一貴も「胸を張って夢が口にできるし、“そんなの無理”と冷水をかける先輩もここにはいません」と語る。

写真:平光 一貴
(写真)平光 一貴/湘南鎌倉総合病院/1年次研修医/名古屋市立大学 医学部出身

平光は初期研修1年目。最初に配属された外科では“洗礼”と呼んでもいいほどのハードな勤務を体験した。

「深夜まで働いて翌朝は6時から仕事という毎日でした。たぶん一生で一番睡眠時間の短かった日々だったと思います。ただ予想はしていたので、辛くはなかったですね。」

なぜそんな厳しい環境だとわかっていて湘南鎌倉総合病院を研修先に選んだかというと、そこには医師である父親の言葉が大きく影響している。

「5年目までの成長で、医師としての一生は決まってくる。だから最初はとにかく厳しく鍛えてもらった方がいい。父のそんな言葉に心動かされて、この病院を選びました。新人である自分は医師としてまだ無力です。だから、忙しいことに対して愚痴を言うような先輩がいないこの病院こそ、自分にふさわしいと思います。」

もともと笑顔を絶やさず、誰からも愛されるキャラの持ち主だ。それがこの半年で「さらによく笑うようになった」と自覚している。
今の充実ぶりが、その笑顔からもよくわかる。

写真:平光 一貴

だが「不安もあるんです」と、笑顔の下で平光は言う。
「自分のモチベーションがいつまで続くか、それが不安なんです。」

平光が“洗礼”を受けた外科の忙しさは、当然ではあるが外科にとっては常態である。平光が研修医として2時間睡眠に耐えたのに対し、先輩ドクターはそれを日常としている。
「自分以上に忙しいはずの先輩方が、365日、モチベーションを高く保っている。それって何なんだろうと思うと、自信がなくなってくるんですよ。」

思えば子どもの頃に見ていた父も、研究に、臨床にと多忙を極めていた。それでも家族に笑顔を絶やさず、日々を過ごしていた。自分自身が医師となったことで、平光はそんな父親の凄さを改めて感じているところだ。

そんな平光が不安や悩みを先輩にぶつけると、「何か自分の武器を身につけろ。専門性を磨け」という言葉が返ってくる。
決して笑い飛ばすようなことはしない。後輩と本気で向き合い、熱く語ってくれる先輩がいる。

「国境なき医師団にも興味があるけれど、最終的な目標はプライマリーケア、つまり何でも看ることのできる町医者になることです。」

写真:平光 一貴

夢を本気で語り合える仲間がいて、後輩の夢を本気で応援する先輩がいる。志が高く、互いに「オレはオレの道を行く。お前はお前の夢を追え」と腹を割って付き合える関係がある。それこそが湘南鎌倉総合病院の最大の魅力だと、平光は言う。

「実は初めはブランドで研修先を選ぼうとしたんです。でも、途中でそれじゃダメだと気づいて考え直し、自分に最も合うカルチャーの病院を選ぼうと方向転換しました。その結果、ここに今の私がいます。」

不安とは可能性の裏返しだ。平光の前には無限の可能性が開けている。

今はその一歩を踏み出したばかりだ。

本原稿にある所属先、役職等の記載は2016年9月28日現在のものです

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責任編集:丸川 かおり/ライター:丹後 雅彦/撮影:大籏 英武

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